えりなのセネガル日記🇸🇳

セネガルの東の都、タンバクンダからお届けします。

セネガルのゴミ問題🚮

街の至る所にゴミが落ちているセネガル。本当にたくさんのゴミが落ちてる。

ゴミ箱もたまに見かけるし、ちゃんと使われています。でも、大抵の場合はポイ捨て。バスやセットプラス(長距離タクシー)に乗っているときも、セネガル人は窓からゴミを投げ捨てています。

 

街のどこを撮っても、こんな風に写真にゴミが入る。

(雨季の写真だから、草がたくさん生えてる)

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ゴミ問題は、保健ポスト(診療所)でもとても気になります。保健ポストの建物の裏を見ると写真のようなゴミの山が。3つめの写真をよく見ると、注射器がたくさんバケツに入っています。

 

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さらに、、、


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マルシェの隣と街の外れで見つけた、ゴミの山。おそらく、市内で回収されたゴミがシャレット(馬車やロバ車)で運ばれて、ここに集められているのだと思います。

 

ゴミの山と、それを漁る牛たち。なんとも言えない光景です。

例えば保健ポストで5s活動としてゴミをしっかり分別して捨てるようにしたとしても、先ほどの保健ポストのゴミもここに行き着くのだとしたら。注射針が混ざったゴミの山を牛が漁っているのだとしたら、、、

 

自分の目の前からゴミがなくなっても、ゴミ問題の解決とはいえない。そう感じました。どうしたものか。

 

 

ゴミ問題もまた、セネガルにおける根深い問題のひとつです。

 

 

今日は生後何日目?

保健センターの小児科で業務を手伝っていて気になったこと。乳幼児の日齢や月齢の数え方について。

 

生まれた赤ちゃんは、数ヶ月かけて色々な予防接種を受けます。また、その際には身長と体重を計測しています。その記録とともに、生後一ヶ月以内であれば、生後何日目かを母子手帳に記入しています。

 

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セネガル母子手帳。フランス語で書いてあります。

 

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1mois(1ヶ月)の欄のところに、8jours(8日)と書いてあります。

 

 

で、赤ちゃんが生後何日目かを数える際。母子手帳に記入してある生年月日を見て、今日の日付を確認して。

例えば、今日が1月21日として、赤ちゃんが生まれたのが1月9日とします。

生まれた当日が0日で、その翌日が生後1日目となるので、

 

21 - 9 = 12

 

で、生後12日目。

 

でも、セネガル人は計算して出す、ということはあまりしません。指を折ってか数えるか、机に敷いてあるカレンダーを見て1,2,3...と数えていきます。途中で数え間違えたりするし、人によって数え方がバラバラだったりして、正確な数字が出せていないことがあります、、、

 

 

あと、年齢を月齢に換算するとき。

母子手帳の記入欄は、生後何ヶ月、という表記なので年齢は月齢に計算し直す必要があります。

例えば、2歳3ヶ月の子がセンターに来たとして。私なら、

 

12(ヶ月) × 2(年) + 3(ヶ月) 

= 24(ヶ月) + 3(ヶ月) 

=27 ヶ月

 

というように計算します。

 

でも、セネガル人はこれも机に敷いてあるカレンダーで1,2,3....と数えていくので、時間もかかるしやっぱり途中で間違える😂あーでもない、こーでもない、ってみんなで言い合ってお母さんと赤ちゃん放ったらかしになってたり😂😂

 

余裕があるときは、間違ってるよって指摘して一緒に数え直したりもするけど、なかなか難しい。

 

算数力の問題?そもそも、計算して出すっていう発想がないってことですかね。

 

ぼちぼち小学校訪問はじめたので、算数の授業見てみたいな〜

小学校教育の隊員ではないので算数の授業に対して何かするってことはないけど、気になる。

 

 

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右上に貼ってあるのは、妊娠中に撮ったエコー画像。エコー画像が貼られている母子手帳を見かけることは比較的少ないと感じます。エコー検査を受けられていなかったり、せっかく受けたのに紙をなくしてしまったり。

 

7ヶ月ぶりの日本🇯🇵

2月の上旬、任国外旅行の制度を利用させていただき1週間日本へ帰りました🇯🇵

目的は、妹の結婚式に参加するため。素敵な結婚式でした😊

 

7ヶ月ぶりの日本、感動したことリスト🥺


・日本語通じる

・コンビニがある

・公共交通機関に時刻表がある

・道がきれい

(動物のフンとか落ちてない)

・道歩いてるだけで声かけまくられたりしない

・お湯シャワーでる

・なんなら湯船にもつかれる

・会いたい人がたくさんいる

・会ってくれる人もたくさんいる

・ご飯おいしい

・生卵食べれる

・ご飯おいしい

・ご飯おいしい

 

 

色々と予定を詰め込んだので、とてもあっという間の1週間でした。セネガルに戻ってきて、あれ私ほんとに日本行ったっけ?と思うくらいには早かった。笑

 

 

日本へ行く直前、語学へのモチベーションについて同期隊員と話していました。けなされて悔しくて伸びるタイプか、褒められて伸びるタイプか。他の人が頑張っているのをみて自分も頑張ろうと思う、などなど。

日本で友人たちと話していて、みんなそれぞれ日本で頑張っているんだなーと思って、私も頑張ろうと思えた。他人が頑張っている姿が、私にとって良い刺激となりモチベーションに繋がるんだなと再確認しました。

私も、誰かに良い刺激を与えられるような存在になりたい。

 

 

今まで私が行ったことのある国はセネガルを含めてたった5ヶ国ですが、私は海外に行くたびに日本のことが好きになります。

やっぱり日本最高だなぁ!

 

 

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羽田空港国際線ターミナル✈️きれいだった〜

 

現地語たくさん② 〜情報へのアクセスについて〜

ひとつ前の記事は、単に私が現地語に苦労しているという話。

 

でも、こっちの記事は別の角度から。情報へのアクセスについて。

 

栄養不良の要因には、個人レベルの問題から、世帯やコミュニティレベル、地域や国レベル、さらには国際的なレベルの問題といった様々なものが複雑に影響しあっています。

 

栄養不良の個人レベルでの直接的な問題は、不適切な食生活。その不適切な食生活の要因として、食物や保健サービスへのアクセスに問題がある。食物や保健サービスへのアクセスの要因として、地理的要因ももちろんだし、情報へのアクセスや教育機会が不十分といったことがあげられる。

 

 

なんだかわかりやすく説明できていなくてもどかしいですが、要するに私の言いたいことは

 

情報へのアクセスが不十分である

=間接的に栄養不良の要因となる

 

ということです。

 

市内の保健ポスト(小さな診療所のような場所)を見学をしている際、こんな出来事がありました。

 

まだ少女といえるような、若いお母さん。小さな赤ちゃんを連れています。

スタッフさんが「あなた、何語ならわかるの!?ウォロフ?セレール?プラール?バンバラ??」と、きつい口調で言っていました。でも、そのお母さんは言われていることが全くわかっていないようで、にこにこと微笑んでいるだけでした。

スタッフさんはお手上げ🤷‍♀️と言った顔で困っていましたが、結局どうにかしてお母さんの持っていた携帯電話で家族か誰かに電話をして話が聞けたようでした。

 

 

セネガル公用語はフランス語。小学校からきちんと教育を受け続けることができた人は、フランス語が話せます。その次に広く使われているのが、ウォロフ語。

自分の民族の言葉に加えてウォロフ語、フランス語が話せる人もたくさんいる一方で、自分の民族の言葉しか話せない人もいるようです。

 

母子手帳は、フランス語で書いてあります。保健センターやポストに色々と貼ってある啓発関連のポスターも、フランス語です。つまり、フランス語がわからないと、得られる情報の量が格段に少なくなります。情報へのアクセスということにおいて、大きな格差が生まれてしまいます。

また、ウォロフ語、プラール語、セレール語、バンバラ語、この4つの現地語のうち一つも話せないと、さっき書いた出来事のように病院に行くことすら一苦労ですよね。実際にここまで分からない人は少数なのかも知れませんが、そのような人たちにも情報へアクセスする機会や権利は平等にあるべきではないでしょうか。

 

誰もがきちんと教育を受けることができて、フランス語やウォロフ語をみんなが話せるようになる。そして情報へのアクセスを平等にする、それも栄養改善のためにとっても大切なこと。生きていくために、教育って大切。だけど、単純な問題じゃないし道のりは長いですね。

 

 

栄養改善について考えると、どんどん規模が大きくなっちゃって、問題が複雑になってきて、私には何ができるんだろう、できることなんてあるんだろうか、って無力感に襲われがち。

広い視野を持って問題の根本的な原因を考えることも必要だけど、自分にできる小さなことを探していかないと、、、

 

 

 

 

 

保健センターに来ていたお母さんと赤ちゃん。このお母さんはフランス語も話せました。

何の話したか忘れちゃったけど、最後に

「Tu es gentille (あなた優しいね)」って言ってくれた。

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現地語たくさん 〜タンバクンダ隊員の苦労〜

セネガル隊の活動言語は、基本的にはフランス語とウォロフ語の2つです。任地によってはウォロフ語ではなくセレール語を使っている隊員もいます。

 

私の任地、タンバクンダはガンビアやマリの国境に近い地域であることから、より様々な民族がいるらしく使われている現地語も多様です。

 

長距離タクシーで移動する際にとなりになった人から、「なんであなたタンバクンダに住んでるのにバンバラ語話せないの😮?」と言われたりします。

いやいや、フランス語とウォロフ語だけで精一杯だよ!!

と、つい言いたくなります。笑

 

配属先の保健センターでは、フランス語やウォロフ語が主に使われています。

でも、市内の保健ポスト(小さな診療所のような場所)に行くと、ウォロフ語、プラール語、バンバラ語が多く話されるようになります。

私はプラール語やバンバラ語は挨拶程度しかわかりません。ということはつまり、スタッフや患者さんが話していることがさっぱりわかりません😂

なので、なにかを理解するためには、フランス語かウォロフ語のわかる人に根気よく質問する、ひたすら観察して自分で考える、それに尽きます。

 

 

また、この前はじめて訪問した小学校にて。

休み時間に、校長先生が他の先生方を集めて私のことを紹介してくれました。その途中で、

 

校長先生「セレール語知ってるか😆?」

 

セレール語、挨拶はできる。通じた。セーフ。

 

校長先生「プラール語知ってるか😆?」

 

プラール語も挨拶はできる。通じた。セーフ。

 

校長先生「バンバラ語知ってるか😆?」

 

バンバラ語も挨拶はできる。通じた。セーフ。

 

でも!その後3つくらい聞いたことのない現地語言われて、????ってなった。はい、アウト。完全にアウト。笑

わたしが知らなかったからといって先生方は特に気にしている様子ではなかったので良かったです。

 

 

さらに、タンバクンダに来たばかりの頃、知り合いの家でお昼ご飯をご馳走になったりアタヤを飲んだりしている時。セネガル人たちの話があまりにも聞き取れなくてぼーっとしていると、「私たちの話してることわかった😊?いまプラール語で話してたんだよ!」とか「いま俺たちバンバラ語で話してたんだよ!わかった??」って言われてびっくりしたり。ウォロフ語じゃないことすらその時は気づかなかった🤦‍♀️

最近では、ウォロフ語かウォロフ語じゃないか、くらいは判別できるようになってきました。笑

 

 

市場でも、プラール族やバンバラ族の人はけっこういます。「プラール語とバンバラ語、どっちならわかる?」と聞かれて、「ウォロフ語しかわからないよー!」って答えると「ウォロフかぁ、、」ってがっかりされることもあります。残念。笑

 

 

フランス語とウォロフ語ですら、なかなか上達しなくて苦労することも多いです。でも、プラール語やバンバラ語を、挨拶だけでも話すと喜んでもらえることがよくあります。

こつこつと色んな現地語おぼえていきたいな〜😊✨

 

 

タンバクンダ市のはずれにあるおうち。ここに遊びに行ったときは、マディンカ語を習いました。

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「モモ」が教えてくれること 〜時間について〜

本を読むことが大好きです。セネガルに来てからは主にKindleで読んでいます。

 

今年最初の一冊は、ミヒャエル・エンデの「モモ」にしました。

子どもの頃からずっと気になっていたけど、なぜか今まで読んでなかった本。

主人公の少女モモが「灰色の男たち」に奪われた時間を取り戻すために頑張るお話⏳

 

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時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。

(本文より)

 

セネガルで生活していると、時間の流れや使い方が日本とは全く異なっているなと感じる瞬間がよくあります。

 

例えば、夕方、アタヤを飲みながら木陰で談笑する時間🍃

アタヤとは、セネガルの伝統的な甘いお茶のこと。炭を使ってじっくりと淹れるので、一杯目のアタヤが飲めるまでには一時間近くかかります。さらに、二杯目、三杯目、と淹れるとなるともっともっと時間がかかります。その間、セネガル人はゆったりと座って楽しくおしゃべりしています。

日本では感じることのない、のんびりとした時間の流れです。日本人の私は、なかなか三杯目のアタヤまで待っていられず途中で帰ってしまいますが(笑)、何もせずのんびり過ごす時間も悪くはないのかなーと感じます。

 

アタヤ☕︎

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また、首都や他の任地から遠い市に住んでいる私。長距離移動をする際に、いつも時間について考えます。

私の住むタンバクンダ市から首都ダカールまでは、約467km。日本でいうと東京〜神戸が約430kmらしいので、だいたいそんな感じですかね。新幹線のぞみなら3時間ほど🚅

セネガルで長距離移動をする際には、セットプラスという乗り物が一般的に使われます。セットプラスとは、7席という意味。その名の通り、7人乗りの長距離タクシーです🚕

セットプラスでタンバクンダからダカールへ行くには、順調にいって約8時間。休憩が長かったり、セットプラスがボロくてスピードが出なかったりすると9時間半くらい。ちなみに途中の休憩は、運転手さん次第なので、1分しかなかったり15分くらいあったりします🤭

しかも!!セットプラスは、乗りたい人が7人揃うまで発車しません。なので、ガラージュと呼ばれるセットプラス乗り場で30分〜2時間ほど待たなくてはいけません。

それも含めると、首都に着くまで9時間〜11時間ほどかかってしまいます。東京〜神戸の3時間とは大違い。

そんな時間あったら、日本ならどれだけの距離移動できるんだろう、、、

 

荷物いっぱいのセットプラス🧳

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壊れちゃって途中の街で修理🛠

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車内の様子。この狭さ、伝わります??

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時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。(本文より)

ほんとうの時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではないのです。(本文より)

 

フランス語も現地語も全然聞き取れなくて、まったくわからない会議に座っている時間は異常に長く感じたり。

久しぶりに同期とあって、気づいたら明け方まで話し込んでいたり。

時間の感じ方って、本当に気持ち次第。

 

人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。(本文より)

 

 

青年海外協力隊としてセネガルにいられる2年間。すでにその半年以上が過ぎました。残りの時間をどう使うかは、しっかりと自分で決めないといけない。だれかにぬすまれないようにね。

 

なんで今まで読んでなかったんだろーと思っていたけど、セネガルにいる今だからこそ読んでよかったな✨

 

 

 

 

 

 



 

 

 

命を頂くということ

サンルイ旅行のあと、同期隊員のいるリンゲールに行きました。

 

リンゲールはセネガルの北部、首都ダカールから約300kmのところにある町です。遊牧民族であるプラール族が多く住んでいる地域。サハラ砂漠に近い地域のため、町中にはさらさらとした砂が多く乾燥していました。

 

今回は、屠殺場の見学について書きたいと思います。最後、屠殺場の写真も載せているので苦手な方はご注意ください⚠️

 

わたしは、管理栄養士や栄養教諭になるために栄養学科で4年間勉強してきました。食べ物について、食べるということについて、たくさんのことを学び考えた大学時代でした。

また、セネガルに来る前には栄養士として一年間働き子どもたちに食事を提供していました。そのときに、食事が出ることが当たり前だと思わないでほしい。あらゆる命が、食材が、目の前にある一皿の料理になるまでの過程をきちんと知ってほしい。と感じることが多くありました。

そしてまた、そういったことを自分の目で見て理解して、きちんと伝えることができる管理栄養士,栄養教諭になりたいと強く思うようになりました。

活動内容も、栄養改善や栄養教育に関するものなので食べ物についての知識は多いほうが良い。

そういった想いから、今回屠殺場を見学させていただきました。

 

畜産局に配属されている先輩隊員が連絡を取ってくださり、朝一で見学することに。

 

8時半まえに屠殺場に着いたときには、すでに作業が始まっていました。数人の男の人たちが、慣れた手つきでヤギや羊の喉を切り、皮をはぎ、お腹を割いて内臓を取り出していました。肝臓や腸などの内臓も食べるため、丁寧に水で洗っていました。すでに解体し終えた牛の肉もありました。

 

8月にあったタバスキ(イスラム教のお祭り、犠牲祭)のときにも羊が捌かれる様子を見ていましたが、こんなに何頭も捌かれる様子を見るのは初めてでした。

 

日本では、魚を捌くことはあっても肉を自分で捌く機会はあまりないですよね。苦手な人もいるだろうし、何が正解なのかわからないけど、個人的には、肉を捌く様子を見る機会や体験する機会がもっとあっても良いのではないかなぁと思う。

 

これらの肉は、シャレット(馬車のような乗り物)に積まれてマルシェ(市場)やジビテリ(肉を炭火焼きにして出している屋台)に出荷されます。

 

また、写真を見るとわかりますが、屠殺場といっても、ほとんど外です。水道と屋根があるだけの場所です。

管理栄養士である友人や大学時代の先輩に屠殺場の様子を話したところ、「それって、ほぼ外だよね、、、」「衛生管理とか何もないんだね」といった感想でした。すでにセネガルに慣れてしまっている私は何も感じなかったのですが、日本のと畜場や食肉解体施設といった施設のイメージとは程遠いものですよね。

 

自分がいかにセネガルに慣れてきているか、色々なことに疑問を感じなくなってしまっているか、衛生管理に対する姿勢が低くなっているか、はっとさせられた瞬間でした。日本で働いていた頃、あんなに必死になって厨房の衛生管理をしていたのに。セネガルに来たばかりの頃は、食事にたかるハエに驚いたりお腹壊さないかびくびくしたりしていたのに。

 

アフリカだから、セネガルだから。そうやって許容していくことも必要だけど、それだけで片付けちゃいけないなと。

 

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命を頂くということ。食べることは生きることそのもの。

言うのは簡単ですが、普段どれだけ意識できているでしょうか?

 

屠殺場で働いていた男の人たちは、私が見学することや様子を写真に収めることも快く承諾してくださりました。

 

貴重なこの経験を今後の活動や、管理栄養士として働く際に活かせるよう考えていきたいと思います。

 

 

リンゲールのマルシェ

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屠殺場にて、ヤギと羊。

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牛肉。マルシェに運ばれて行きます。
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